私的な日々のことです、、、お店の内容ではありません。

 

今日は義父の誕生日。

おめでとう。今日はお花を買いに行かないと。

 

2年前に亡くなってから、

生前の義父の友人、お弟子さんたち、教え子さん(専門学校の講師をしていたので)、元職場の人たち…、たくさんの人がお参りに来てくれました。わが家には、義父の位牌もなく、お骨のかけらしかないのに。(本家ではないから)

 

愛されキャラだった義父。義父の名前を取って「平治会」という名の宴会が、毎年11月にありました。みなさん料理人、12月の父の誕生月は繁忙月なので、11月に集まって、わいわいと、一か月前の誕生会を祝うという恒例行事だったとのことで、

義父は「みんな、騒ぎたいだけだよ」なんて、言ってたけど、義父の70歳の誕生祭には40人も集まってくれたよ、なんて、嬉しそうに話していました。

闘病中の父を励ましてくれたんだなぁと、感謝しかなかったです。。。それはコロナ前のこと。

 

2年前の2020年の春からは、集まることもできず、闘病中の唯一の生きがいだった、専門学校の講師の仕事も休止になり(父の病気のこともあり、学校側も配慮してくれていたんだと思います)、その後、すべての治療が終わって、手が尽くせないと、余命宣告を受け、2020年の秋、2年前、義父は亡くなってしまいました。

コロナの閉そく感と、父の最期が重なり、2020年自体が暗くて辛くて、でも仕事はめっちゃくちゃ忙しくて、義父の家にもじっくり会いにも行けない。緩和治療で入院したら、面会できなくて、やっと個人病棟になって会えたとしても、一日5分だけ。

その5分のために、私は往復2時間かけて、毎日病院に行きました。息子であるシェフは、定休日にしか会いに行けず、しかも5分だけ。

 

それでも会えただけ幸せ。「個人病棟でなければ最後の時にしか会えないですよ」と言われました。なんて悲しい。

「会いに来てくれると、嬉しそうにしてますよ。」と看護師さんに言われて、更に辛くなりました、24時間のうちの5分の面会で、喜んでくれるなんて。他の時間はどんな気持ちでいるのかな、と。

 

※写真は偲ぶ会の時のものです。 フランス料理一筋の人でした。

先月、父を偲ぶ会を、「平治会」のメンバーが開いてくれました。ありがとうございます。

11月の最終日曜日。私は仕事でどうしても店を抜けられなかったけど、シェフが行ってきました。

亡くなった時も、お葬式でも、泣かなかったシェフが、偲ぶ会では「涙が止まらなかった」、前触れもなく涙が止まらくなったんだと。

義父の偲ぶ会には、40名以上の仲間が来ていただいたとのことで、とても感謝しています。当初の8月の予定の際は80名参加予定でしたが、コロナ感染拡大のため中止になり、3か月遅れになったにもかかわらず、たくさんの仲間に来ていただけて、義父は幸せです。

お礼申し上げます。

 

 

昨日、吉田店から支店の県央店に配達に行く途中、父のお墓のあるお寺のわきを通りました。(県央店のすぐ近くにお寺があるのです)声に出して「明日はお誕生日だね、75歳おめでとう」と、言ったら、悲しい気持ちになったわけでもないのに、私も急に涙が止まらなくなって、なんだろうって、不思議な感覚でした。